奥久慈茶~北限の碧い雫~ 茨城県大子町

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奥久慈茶の歴史

茨城県の三大銘茶と北限の茶産地・大子町

 茨城は、関東有数のお茶の産地です。県内には、南西部の「さしま茶」、県央部の「古内茶」、そして、県最北に位置する「奥久慈茶」と3つの茶産地があります。

 奥久慈茶の産地である大子町は、日本三大瀑の一つ「袋田の滝」で知られる茨城県の北西部にある観光と農業を中心とする町です。 町の中央には久慈川が流れ、アユ釣りのシーズンには多くの釣り客で賑わいます。


奥久慈茶の特徴

 奥久慈茶は、久慈川の源流がある八溝山地に近い町北部の集落の山間の畑で栽培されています。 500軒ほどの農家が、やぶきた種を中心にお茶栽培を行っています。 その栽培面積は119ヘクタールで、製茶の年間生産量は120トンという、小さなお茶産地です。

多くの茶畑が日当たりの良い産地地斜面や河岸段丘を利用して栽培されています。

今から100年ほど前、当地を訪れた人が

「この地を踏みし人は、茶園と山村の配合の美観に打たれ、おそらくは再び訪ほんとの念を禁する能はさるへし」(『茨城県の農家副業 続編』茨城県農会,1915』)

と報告書に残すほどの美しい景観は、今のこの山間の集落には残されています。

 新潟県の村上市で栽培されている「村上茶」と並び北限のお茶産地として、古くからお茶の栽培が行われてきました。 奥久慈茶は、冬は寒さが厳しく、夏は昼夜の寒暖差が大きいという気象条件から、葉に厚みがあり、味にコクがあり、香りも強いのが特徴です。 茶葉が厚い分、2煎、3煎目になってもお茶の美味しさが楽しめます。

 茶摘み時期は、お茶の産地として有名な九州や静岡よりも1か月ほど遅い、5月中旬頃から行われます。 茶葉は少しずつ成長するため、ここではお茶摘みは1度しか行わず、1番茶のみが出荷されます。 お茶の製造・販売は、町内の30軒前後の茶園がそれぞれで行っています。

 気候と土地の制約もあり、他県や県内他産地のように収量を大きくするこが難しいことから、品質を高めることを産地として目指してきました。今も当地に伝わる手揉み茶の手法は、そのこだわりの結果の一つで、お茶摘みから、蒸し、もみ、乾燥まで全て手作業で行い、焙炉(ほいろ)という台の上でもみは3時間ほど行われ、「仕上がったお茶のその形は針のようによれ、光沢は緑黒く、なぜか磯の味」がします。 どれを見ても機械茶より優れ、お茶の高級品として扱われています。

 手もみを行っているのは、地元の大子町「茶手揉み保存会」の方々で、昔ながらの製法を今に伝えようと、約30年前から行われています。

奥久慈茶のはじまり

 奥久慈茶のはじまりは諸説あるのですが、最も古いもので室町時代末期頃と言われています。

 左貫(町北部にあった昔の村の名前)の西福寺の宏明、慶松、常庵という三人の僧侶が京都宇治より茶種子を持ち帰り植栽したとされ、江戸時代後期になり、京都宇治から茶職人を招き宇治流の製茶法が導入されたことで周辺の村々で茶の栽培が広く普及することになりました。

 明治、大正期にも当時の最先端の技術・技法を取り入れる努力が篤農家を中心に進められ、パリ万博へお茶が出展されたりしました。 こうした努力もあり一時期、昭和20年代に左貫で栽培されるお茶は静岡の「川根茶」に匹敵する銘柄茶として全国として知られるようにもなりました。

 大子町北部の地域で栽培されるお茶は、大子町の古い呼称である「保内」を冠し、「保内郷茶」と呼ばれていましたが、市町村合併を機に昭和36年から、町北部の各集落で栽培・製造されるお茶のブランド名を統一して「奥久慈茶」と称することになりました。

(参考文献)
菊池豊重著 『茨城の茶業史』平成元年